マスクを付けるようになってから、相手の表情がわかりにくくなった。
つい先日、息子の幼稚園の遠足があり、半日親も付き添うことになった。コロナ禍で、多くの行事が中止になっている中、とても楽しみな行事だ。
息子の幼稚園では、このコロナ禍で6月に入園式を迎えたので、そこで出会う人はほとんどが初めて会う方々ばかりで、その方たちはマスクをしている顔しか知らない。入園してからというもの、ほぼ毎朝顔を合わせ雑談などしながら、少しずつ幼稚園生活や親同士の繋がりを理解し深めていくのだが、今年は懇親会なども禁止されているためなかなか仲良くなる機会がない。親同士の関係が希薄になりがちで、寂しい年度始まりだった。
話を戻して、遠足では親子分のお弁当も作って、仲良くなった親子たちで公園で食べようということになった。家の外でマスクを外す機会といえば、食事をするとき。皆さんお弁当を広げてから、最後に遠慮がちにマスクを外す。
そこで起こったこと。
それは、皆さんの顔が自分が思っていた予想と違う、ということ。
コロナ禍でマスクをする前に知り合いになっていて、話をしたことのある人は、マスクをしていても、その人がどんな表情をして話をしているか予想をすることができる。
しかし、マスクをしている顔しか見たことのない人は、自分の頭の中で、きっとこんな表情をしているに違いないと、これまでの経験値から憶測で作り上げていたのだ。
でも顔の表情は千差万別。経験値などは役に立つわけもなく、想像を遥かに超えていた。皆さんの豊かな表情が顔いっぱいに広がっていくような感覚を覚えた。思っていたよりも皆さんの顔が優しかった。
一言でいうと、とてもホッとしたのである。
この方はこんなにいつも微笑んでいる人だったんだ。この方は冗談を言うとき、こんな魅力的な表情をするんだ。目だけでは細かい表情の機微までわからない。その積み重ねでこれまで知らず知らずのうちに相手との間に一線を引き、相手の様子を窺っていたのだと感じた。そして目の表情のみでは冷たく感じてしまうということも。
今年入学したばかりの小学校一年生、中学生に、マスクをすることがどれだけ測り知れないほどの影響を与えているだろうかと思うと、心配になってくる。
フェイスシールドがあまり感染予防に意味を成さないのなら、どうにか透明に近いマスクが開発されないものか。